パラリンピック、その歴史は?
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響により、2021 年に延期された東京オリンピック・パラリンピック競技大会。
視覚障がいのある選手が、音を頼りに闘う 5人制サッカー や 車いすラグビー、また視覚障がい者だけで行われる柔道など、 22 種類もの競技が存在します。
これ程、多くの種目が存在するパラリンピック。実は、聴覚障がい者向け競技が含まれていないことをご存知ですか?
今回は、同じ障がい者でも、聴覚障がい者だけが別の競技大会になっている理由を、パラリンピックの歴史を紐解いてご紹介します。
執筆者:青本 りよ
Global Writer
パラリンピックの歴史 : なぜ聴覚障害者の競技が存在しない
オリンピックとパラリンピックは、2000 年にシドニーで開催された、第 11 回パラリンピック競技大会以来、協力関係を深めてきました。
パラリンピックは障がい者を対象とした、もうひとつのオリンピックと言われており、4 年に 1 度、オリンピック競技大会が終了する直後に同じ場所で開催されています。
でもなぜ、パラリンピックには聴覚障がい者の競技がないのでしょうか。
日本パラリンピック委員会によると、障がいをもつ当事者自身が組織を作り、自発的にスポーツ活動をはじめたのは、19 世紀以降とのこです。
1888 年に、ドイツで聴覚障がい者のためのスポーツクラブが創設された事を皮切りに、1910年には “ドイツ聴覚障害者スポーツ協会” が創設されました。
さらに、第一次世界大戦後には、イギリスで “身体障がい者自転車クラブ” や “英国片上肢ゴルフ協会” などが次々に創設され、自発的にスポーツを楽しむ障がい者が増えて行きました。
そんな中、第二次世界大戦後にパラリンピックが始まります。
1985年、国際オリンピック委員会( IOC )は、国際調整委員会( ICC )がオリンピック年に開催する国際身体障がい者スポーツ大会を 「 Paralympics 」と名乗ることに同意しました。
その翌年、聴覚障がい者の国際スポーツ団体である “国際聴覚障害者スポーツ協会(現 ICSD )” と ”国際精神薄弱者スポーツ協会(現:国際知的障害者スポーツ連盟)” が ICC に加盟し、一気に規模が拡大しました。
しかし、加盟後わずか10年足らずの 1995 年に脱退しています・・・。
その理由について、ドナルダ・アモンズ博士(国際ろうスポーツ委員会 会長)が、2009年に国際オリンピック委員会に提出した調査書によると、『増大する費用』が原因の一つとして挙げられています。
政府や公的機関からの財政支援を得ることも容易ではない中、ろうの選手独自のコミュニケーションサポート(IPC への手話・通訳費用負担)、ろうの参加者の増加が重荷となり、徐々に参加者の受け入れが困難となって、ICSD は『脱退』という結論に至りました。
このような歴史があり、パラリンピックには聴覚障害者の競技がないのです。
ICSD の実績:デフリンピックとは
実は ICSD の設立は 1924 年と古く、国際的な障がい者のスポーツ大会は、同年にパリで開催された国際ろう者スポーツ競技大会(現:デフリンピック)が初めてでした。
初めてお聞きされた方もいらっしゃると思いますが、「デフリンピック( Deaflympics )」とは、聴覚障がい者のオリンピックです。
夏季大会は 1924 年にフランスで、冬季大会は 1949 年にオーストリアで初めて開催されました。
障がいの当事者である、聴覚障がい者自身が運営する、視・聴覚障がい者のための国際的なスポーツ大会です。
最近ですと、2019 年に冬季デフリンピックがイタリアで開催されました。次回は、第 24 回夏季デフリンピック競技大会が、ブラジルで開催される予定です。
1924 年にフランス・パリで、9 カ国から 148 人が参加し、始まったデフリンピックですが、2017 年にトルコで開催された第 23 回夏季デフリンピックには、86 カ国から 2,859 人もの方が参加しています。日本からも 108 名の選手が参加し、陸上やバドミントン、サイクリング、サッカーなどの種目に出場しました。
オリンピック、パラリンピック、デフリンピック。名前は違えど、それぞれの五輪を目指し、選手の方々は、皆、とてつもない努力をされています。
例えば、日本体育大学大学院在学中の 宮坂 七海 選手は、クレー射撃で実力を発揮しています。
オリンピック有望選手に認定されており、2020 年 8 月に開催された JOC ジュニアオリンピックのトラップ種目で 2 年連続優勝しています。
剣道で鍛えられた集中力と、眼からの情報収集能力に秀でており、驚異的な速度で上達しているそうです。
トヨタ自動車の円盤投選手、湯上 剛輝 選手は重度の難聴で、小学生の時に人工内耳手術を受けています。彼は日本陸上競技選手権大会で優勝する程の実力の持ち主です。
2018 年の日本選手権では、一人で日本記録を 3 回更新し、62m16 の記録で優勝しています。
湯上 選手は 2018 年に行われた Buzfeed とのインタビューで「障がいは武器になる」と発言しています。円盤を投げる前に、体外装置を外すことで無音になり、集中力が高まるそうです。
障がいを長所と捉えて、自分の能力を伸ばしている 宮坂 選手や 湯上 選手。
彼らの情熱と雄志に感銘を受けました。同じようにハンディキャップを抱えている人たちにとって、その雄姿は、きっと励みになるはずです。
著者の想い
オリンピック・パラリンピックは、単なる競技を超えた、人の心を動かす原動力と感じています。
現状に悲観せず、前を向いて進み続けている姿に、私も感銘を受けました。
もしも今、身体・健康のことで悩まれていらっしゃる方々がいましたら、是非、彼らの活動に目を向けてみてください。
障がいを抱えながら、頑張っている皆さまを、心から応援しています。
出所
東京都オリンピック・パラリンピック準備局, “パラリンピックとは”, 2015
及川力, “国際ろう者スポーツ委員会が国際パラリンピック委員会を離 脱した要因について”, 1998
Dr. Donalda K. Ammons, “Deaf Sports & Deaflympics” 2008
一般財団法人全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会, “デフリンピックの概要”, 2020
Kenjoy, "【ろう者剣士の遥かな夢】宮坂七海", 2019
笹川陽平ブログ,「ちょっといい話」その133―パラアスリートらの手紙―”, 2020
Buzzfeed, 難聴がある。でも、それは世界に挑戦しない理由にはならない, 2018